沿革
弘化元年(1844) | 和泉国(現在の泉佐野市)で松浪藤右衛門が薄玻璃製造により事業を開始する。 |
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明治10年(1877) | 第一回内国勧業博覧会に玻璃鏡を出品し、大久保利通内務卿従三位より花紋賞牌を授与される。 |
明治37年(1904) | 顕微鏡用カバーグラスをわが国で初めて製造する。 |
明治38年(1905) | 顕微鏡用スライドグラスを製造する。 |
昭和23年(1948) | 岸和田市下松町(現、八阪町)に本社、工場を建設する。 松浪ガラス製造所を松浪硝子工業(株)に改組する。(資本金500万円) 松浪定雄が代表取締役社長に就任する。 |
昭和36年(1961) | 資本金1,000万円になる。 |
昭和38年(1963) | 日本工業規格(JIS)表示許可工場となる。 |
昭和39年(1964) | 東京営業所を開設する。 輸出貢献企業に認定される。(その後、8年間連続で認定される) |
昭和48年(1973) | 電子工業用ガラスの製造を開始する。 |
昭和59年(1984) | 本社の新社屋完成と同時にCIを導入する。 |
昭和60年(1985) | 資本金9,000万円になる。 |
昭和62年(1987) |
松浪 明 代表取締役社長に就任する。 第2工場の操業を開始する。 |
昭和63年(1988) | 有限会社マツナミ通商を設立する。 |
平成6年(1994) | 創業150周年を迎える。 |
平成8年(1996) | 大阪府立産業技術総合研究所にインキュベーション開放研究室を開設する。 |
平成9年(1997) | 新本社工場完成、操業を開始する。 |
平成11年(1999) | ISO9001を認証取得する。 |
平成12年(2000) |
本社工場を拡充。第2工場の設備を増強する。 総合技術開発ラボを設置する。 |
平成15年(2003) | ISO14001を認証取得する。 |
平成22年(2010) | 大阪ものづくり優良企業賞2009「最優秀企業賞」を受賞する。 和泉工場を開設し、マイクロレンズアレイ事業を開始する。 |
平成23年(2011) | 経済産業省近畿経済産業局"KANSAIモノ作り元気企業100社"に選出される。 |
平成25年(2013) |
米国にマツナミUSA社(ワシントン州)を設立する。 ISO13485を認証取得する。 |
平成27年(2015) | 一般社団法人 日本経済団体連合会(経団連)に入会する。 |
平成30年(2018) |
日刊工業新聞”100年経営の会”第3回100年企業顕彰において”優良100年企業表彰”を受ける。 経済産業大臣より「地域未来牽引企業」に選定される。 |
令和元年(2019) |
自動車産業品質マネジメントシステムであるIATF16949を認証取得する。 ゆめみヶ丘工場を開設する。 |
令和2年(2020) |
経済産業省「はばたく中小企業・小規模事業者300社 2020」に選定される。 「パートナーシップ構築宣言」を公表する。 |
令和3年(2021) |
松浪 明 秋の叙勲 旭日単光章受章。 公益社団法人中小企業センター第55回グッドカンパニー大賞 優秀企業賞(近畿地区)を受章する。 |
令和5年(2023) |
安原 弘泰が代表取締役社長に就任する。 健康経営優良法人2023に認定される。(2019より連続認定) |
令和6年(2024) | 創業180周年を迎える。 |
創業(1844年)
松浪硝子工業は、弘化元年(1844年)、和泉の国日根野郡 仲ノ庄湊村、現在の泉佐野市にて屋号を木綿屋とし、薄玻璃の製造技術を活かし鬢鏡の製造で創業を開始致しました。そして、明治10年には、第一回内国勧業博覧会に出品し大久保利通総裁より花紋褒賞牌を受章し、その技術力は日本全国に知られることとなりました。
その後、ファインガラスの総合メーカーとして、オンリーワン企業として歩みを続け、平成21年には大阪府知事より『大阪ものづくり優良企業賞2009』の最優秀企業賞を受賞いたしました。そして、平成27年には、経団連から優良企業として評価をいただき、経団連に入会いたしました。経団連会員として経団連 企業行動憲章に基づき、高い倫理観をもって、社会的責任を果たしてまいります。
顕微鏡用カバー・スライド(1904年〜)
薄玻璃の製造で培った技術を活かし、日本で初めて顕微鏡用のグラスの製造を開始いたしました。
そして、明治37年にはカバーグラスを、明治38年にはスライドグラスの製造を開始いたしました。
当時は日露戦争が勃発した時期であり、日本は科学立国に向け国産化の兆しが出始めていた時期でもありました。
その後、現在に至るまで120年にわたり、日本における顕微鏡用カバーグラス・スライドグラスのトップブランドとして走り続けています。
カバーグラス・スライドグラスは、病院での医療臨床検査用、大学や企業での細胞培養の研究用として使用され、日本のマーケットシェアは約65%を占めています。
更に、ソリューションビジネスとして病理診断支援システム事業を行っています。
このシステムは、煩雑な病理検査業務の文字情報と画像情報を統合管理することでペーパーレス化、データベース化を実現するものです。
光電子材用ガラス製品(1973年〜)
昭和48年には、新市場開拓の一環としてプラズマディスプレイ用スペーサーガラスでエレクトロニクス工業用ガラスに進出いたしました。
その後、高精度基板ガラス、封着用ガラス、極薄膜ガラス、レーザーダイオード用ガラス、イメージセンサー用ガラス等の様々なガラス部品を製造してまいりました。
こうした部材は、様々な電子関連製品に活用されています。
その一例として、スマホ用のフィルターガラスや、強化ガラス、車載用ソーラーパネル、ナビ用タッチパネルディスプレイ、レーザープリンターのヘッド用、デジカメ用のセンサーカバー等々があります。光・電子部品事業は、現在もライフサイエンス事業と共にコア事業として事業展開をしています。
モノづくり改革(2006年〜)
私たちは、次世代戦略を踏まえた事業の発展に向け、先進技術を随所に盛り込んだ自動化やロボット化を推進し、より高い品質と生産性向上に努めています。また、モノづくりの意識改革を図るために、2006年から、TPS(トヨタ生産方式)を導入し、「かせぐ ふせぐ けずる」をスローガンに掲げ、一歩、一秒、一円を大切にし、全員参加で日々改善、日々進化させ、高品質、低価格、短納期を実現することにより、お客様にご満足いただける魅力ある製品のご提供に努めております。
工場内では、無災害の生産活動を行うためにも安全管理を徹底し、「安全無くして生産なし」「安全は全てに優先する」をモットーに、5Sパトロールやヒヤリハット運動を推進し、ゼロ災害に努めております。また、社員一人ひとりが楽しく働ける職場づくりを目指すためにも、全員参加でいろんな角度から知恵を出し合い、改善提案やQC活動を活発に行い、企業全体の志気を高めています。
我が社のモノづくり改革は、5S、視える化、リードタイム短縮など、全員を巻き込んだ活動とリーダーの現場統率力であり、経営と現場の一体感の醸成を図り、意識改革と強い現場づくりを実現させています。「改善は無限である」をモットーに、全員参加で日々改善に取り組んでいます。
製造技術は、11の要素技術により技術革新に挑戦しています。
ガラス組成設計技術、切断技術、面取技術、研磨技術、印刷技術、洗浄技術、表面処理技術、熱加工技術、薄膜技術、微細加工技術、そして様々な加工技術であります。
新商品開発の際には、市場の流れに乗り遅れないようスピードが求められ、社内に設置されたラボラトリーを常に活用しています。
培養室ではバイオ製品の開発や滅菌検査等の評価を行っています。
製品開発に際しては、五感経営実践の3カ条を設定し、製品を使う側に立って製品開発をするように心がけています。
事業所
事業所につきましては、明治19年に創業の地 泉佐野から岸和田市本町に移設し、社名を『松浪ガラス製造所』といたしました。
昭和23年には、現在の所在地である岸和田市下松町(八阪町)に移設し、社名を現在の『松浪硝子工業株式会社』に変更いたしました。
現在、この地において、製造本部、品質保証部、技術開発部、営業部門のそれぞれの部門が一体化して、素材開発から検査出荷まで一貫した生産体制で臨んでいます。
各事業所につきましては、昭和39年に東京営業所を開設、昭和62年に第2工場を、昭和63年にはマツナミ通商を、平成25年に海外取引の強化を図るため米国ワシントン州にマツナミUSAを、令和元年にはゆめみヶ丘工場を設立しました。
松浪硝子の製品は、岸和田から発信し、日本のみならず、世界各国で使用されています。